つれづれケトルベル 還暦編

移転してきました。よろしくお願いいたします

2011年2月19日土曜

・今日は、銀杏(ギンナン)ボウル。GANGSTERSとWARRIORSのOBによる、フラッグフットボールの対抗戦。イメージ 1
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
・この日のために、1ヶ月間はケトレも、意識してやってきた。走り慣れるためにと、意識してウォーキングや階段登りを試みた。(ダッシュはしていないが)
・新幹線こだま号が11時に東京駅に着く。13時集合だが、11時20分ほどで、試合場(母校グラウンド)に付き、生協食堂にて久しぶりにハヤシライスセット400円食す。
・その後、グラウンドに行くと、準備係の若いOBもちらほらいる。更衣室は無いので、早速片隅で着替える。1番で受け付けて、参加料と懇親会費、そして相手のGANGSTERSのユニフォームTシャツ代を支払う。
・小生は、人工芝は初めてだが、絨毯にようにふかふか、ゴムのような弾力性もある。やや肌寒いので、キャンパス内をウォーキングに出る。15分ほど歩いて13時前に帰ってくるとかなり集まっている。
・13時から、開会式、の在京OBが100人ほど集まり、挨拶のあと、フラッグフットボールのルール説明。初めてやるが、事前に、HPで見ていたので、まあ何とかなるだろうと。
・1時間ほど、練習する。この競技は基本的にパスゲームなので、ライン戦はなく、パスキャッチドリルを愉しむ。結構、キャッチできた。なんせ、当方のQBは、元ALL JAPANだから良い球投げる。
・14時から、グラウンドを2つに分けて、ヤング(20代)とミドル(30代)とシニア(40歳以上)の3つに分けた対抗戦開始。51歳の小生はもちろんシニア。
・小生のポジションはデイフェンスの前3人の右側、アウトサイドラインバッカーって感じ。ミドルラインバッカーを1シーズンやった経験あり、また、ラグビーもやったので、何となく、その感覚でやる。ケトレ効果故、前半後半20分づつの試合だが、息も切れず、思いのほか、グラウンドを縦横無尽に走れた。しかし、シニアチームは、ふくらはぎの肉離れが続出。3人も。諸先輩が次々といつの間にか戦線離脱。
・最後の16時から、ALL GANGSTERSと ALL WARRIORSの20分ハーフのガチンコ対決。負けた方が、懇親会で罰ゲームがあるとのこと。5人メンバーのうち、2人はシニアから出さねばならない。ヤング、ミドルなどは現役バリバリでアールジャパンメンバーもいるので、敬遠していたが、出る羽目になる。しかし、非常に楽しく、ディフェンスさせていただいた。ランナーも早く、フラッグを取るのが難しい。むしろタックルしたくなる。最後の3プレーはオフェンスにも出て、センターでボールスナップをする。結果、18対6で負け。
・そのあと、閉会式の後、近くの居酒屋で懇親会。罰ゲームは、相手へひたすらお酌をするというもの。というわけで、大量の肉と野菜にぱくつきつつ、キリンラガーをひたすら飲み続けた。
・GANGSTERSからは70―80歳の大先輩も3人来られ、昔のアメフット事情をお聞かせいただいた。30年以上前、小生が大学でアメフトやりたいと思ったのも、当時GANGSTERSが常勝チームFIGHTERSの連勝にストップをかけ、実力日本一とも言われていたのを知ったからであった(涙の関京戦・・・は有名)。今夜は当時のメンバーの方からお話が聞けたが、ALLJAPANが数人もチームにおり、練習より、試合が数段楽であったと。・・・・・・
・結局、GANGSTERSでプレーする夢は叶わず、東京の大学に入ってアメフトをやったのだが、ライバル意識は強く、こことの毎年春の定期戦には特別な思い出がある。小生が出場したのは2年時からだが、2、3年と負け、4年時に何とか勝つことができた。結局このチームが、甲子園ボウルでPHOENIXを破って日本一となったが、格下の我々に負けたのをバネにされたようなことを聞きました。
・往時の伝説のプレイヤーともお話させていただく機会がもて幸運と感じました。
・足膝腰肩はアルコールも加わり、ジンジンと燃えております。ビッコ状態で何とか帰宅しました。明日は安静にしよう。
おしまい ケトレ無し。